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帰 国 報 告
こんにちは。戸田西ロータリークラブの皆様にスポンサーを務めて頂き、1年間アメリカ・アリゾナ州に派遣させて頂いた、南稜高校の廣田恵美と申します。 私は1年間の留学生活を経て、7月21日に日本に帰国しました。 本日はよろしくお願い致します。 Megumi Welcome Arizonaという看板を持って、ファーストファミリー全員に温かく出迎えられたところから、私の留学は始まりました。その時に、シスターのアマンダがWelcomeと大きく書かれた風船と5色の風船を笑顔で手渡してくれたことは今でも、よく覚えています。 さて、私の住んでいたアリゾナ州はアメリカの南西部に位置し、東側にカルフォルニア州、南側はメキシコと隣接しています。なので、メキシカンの方もたくさんおり、スペイン語が第2言語とされ、タコス等のメキシコ料理が食べられます。 周りは山、至る所にサボテンが生えていて、とにかく日本とは別世界の場所でした。夏の時期は、毎日気温40度を超え、とにかく300日以上が晴れなので、私の持ってきた傘などの出番は一度もなく、雨の降る日は珍しいので皆、喜んでいました。 アリゾナの中でも私はCarefreeという人口たった4000人の小さな街に住んでいました。 Careは優しさ、Freeは自由と由来を兼ねて、名づけられたという話を前にお世話になっていたクリスさんに伺ったことがあります。 そんな小さな街で私は最高のファミリーに出会うことができました。 DadとMom、3姉妹しかしながら、末っ子のアマンダだけが一緒に生活することが出来ました。アマンダ。彼女は私の妹であり、Ms.アマンダちゃん、英語の先生とも呼んでいました。長く生活して分かったことが、唯一彼女だけが私の言いたいことを理解していたことが多々あり、彼女が他の人に通訳をしていたので、私はそのたび驚かされました。 昔、弟が幼いころ、私だけが彼らの言葉を通訳できたと聞きますが、長く住んでいると姉妹、通じ合うものがあるのだと感動しました。そんな彼女は私にとって、かけがえのないかわいい妹です。 私の初期の英語は相当ひどかったことを自分でも自覚しています。ホストファミリーが変わる1週間程前にDadから「始めは困ったな。名前と日本出身です。」と元気に紹介するとその後、緊張して固まっていたと言いました。その通り、言い返すことは出来ませんでした。なぜなら、電子辞書を使い、単語を打ち込み、お互いの意思表示をしていたこともあったからです。こんな状況からでも、常に優しく接してくれ、色々な新しい経験を与えてくれました。 例えば、9月には念願かなった野球観戦、夜風が心地よく当たる地元ダイアモンド・バックスの球場で野球の歓声と、Take me the ball gameの合唱、私は鳥肌が立つくらいに感動しました。 やはりアメリカ、スポーツが盛んで、野球の他にもアイスホッケーや高校のフットボールも観戦することが出来ました。私の高校はフットボールでアリゾナ1に輝くほどの強豪、学校中でフットボールが盛り上がりを見せていました。また1学期は毎日体育を選択していたため、実際にフットボールやホッケー、ラクロス等の物珍しいスポーツを授業通して、友達と対戦でき、いい経験になりました。 10月にはロータリー旅行で初めて大きなハイキングをすることになり、Dadに先生を務めてもらい、近くの山を10キロ歩き、庭ではテント作りの練習をしました。 当日、テントを背負って、岩場を6時間登るハイキングでした。夜には、大雨が吹き込み、まさに大自然の闘いだったと今、振り返ります。 実はこの10月の終わりごろから、11月の始めごろその期間およそ三週間。私は初めて大きなホームシックにかかりました。寂しさとミスコミュニケーションをしばしば起こし、自分へのやるせなさを十二分に味わいました。2回ファミリーの前で泣き、けれどその時にこそ、自分を見つめ直すきっかけが出来たと感じます。 この気持ちが揺れ動く中、大きな英語の宿題の登場で、勉強しざるを得ない状況となってしまいました。 プレゼンテーションのテーマは「第二次世界大戦中のアメリカと日本」 思わず、挑戦する、出来ると言ってしまい、3週間がかりで、昼休み・放課後と先生方に原稿チェックから、練習まで付き合ってもらいました。私が真剣な時、ファミリーも真剣になってくれ、前日の晩、ファミリーの前で予行練習をさせてもらうことにしました。この宿題から「もし一人で出来なかったら、尋ねなさい、助けてもらいなさい。」ということも教わりました。宿題だけでなく、人生も同じ事で、そのままにして抱え込んではダメ、難しいところは補ってもらうことが大切だと初めて気が付きました。 初めての英語でのプレゼンテーション、7分間英語を話すことが出来たことは、私の中で大きな自信となりました。そして、クリスマスの飾りつけやクッキー作り、合唱のクラスのクリスマスコンサートを楽しくやりことが出来ました。 こんな素敵なファーストファミリーと出会えて、一緒に生活して、育ててもらい、この上ない幸せがそこにはありました。人と人との絆、私はたくさんの暖かい存在に恵まれていると痛感しました。 私の学校には日本語クラスがありました。そして、私は志願して半年間、日本語クラスのアシスタントを務めました。日本とだいぶ離れたこの地で日本語を一生懸命学んでいる彼らに深く感銘を覚えたからです。 次に学校で一番印象に残っていることを話したいと思います。 このクラス女子7人に対し、男子18人でとても元気なクラスでした。 彼らは嬉し、恥ずかしも私の事を「めぐみさーん」と呼んで、質問を尋ねてきてくれます。 しかし、このクラス、去年から勉強し始めたばかりなので、授業のほとんどは英語で説明するため、英語を使わなければなりませんでした。お互いが生徒であり、また先生であるのだとつくづく感じました。一緒に坂本九の「上を向いて歩こう」を歌った時期もありました。 4月には日本文化を紹介するためのプレゼンテーションをしました。私は、ふるさと・やまとなでしこ・おふくろの味を写真や絵、折り紙を使い、皆の前で話しました。 私の事、日本での生活を理解してもらって、より親密間、信頼関係を築くことが出来たと思います。互いの文化を分かち合うことこれが、国際交流の第一歩ではないのかとアリゾナで学びました。 最後に私は日本に帰って来て言われた言葉は2つあります。 一つ目は「最近ふっくらしたね」人は少し遠回しに責めてきます。 嬉しかった言葉は「恵美ちゃんは積極的に明るくなったね」私の合言葉は自己ベスト。 I can do it, I tryというプラスの言葉を元気に発すると、行動もまた元気になるように感じます。だから私はこれからこの留学の経験を生かし、社会貢献の出来る人を目指して頑張っていきたいと思います。 最後になりましたが、戸田西ロータリークラブの皆様。昨年度は、派遣生としてこのすばらしい地アリゾナに送りだして頂き、心から感謝申し上げます。ありがとうございました。 また私の交換留学生であるレジーナ・リトルさんのホストロータリークラブに努めて頂き、感謝の気持ちでいっぱいです。 本当にありがとうございました。 そしてこれからも何卒、よろしくお願い致します。 7月26日 廣田 恵美 |
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